人生のたたみかた

インドヨガ留学から、祖父の危篤で急遽帰国。
その時に「人生のたたみかた」について、
色々と考えさせられたので、死生観について綴ってみます。

日常では、「どのような最期を迎えたいか。」
と聞かれても中々ピンと来ないですよね。

一昔前までは、
サザエさんのような多世代家族が珍しくなく
誰かの死の間際を身近に触れていた。

すっかり核家族化した今では、
日常に死が迫った誰かと同居することはほぼない。
死について話すことは縁起でもないとタブー視されがち。

「人は何か強烈に死を意識した時に、強烈に生を感じる」
とはよく言われますが、
私の場合は学生時代に目の当たりにした祖父母の最期から、
死生観について色々と考えさせられました。

1. 死生観とは

死生観とは、生きること・死ぬことに対する考え方や価値観、
判断や行動の基盤になっている生死に関する考え方のことです。

例えば身近な人が亡くなったり、
事故や病気で生死をさまよう体験をしたりして、
死について考えることもあるでしょう。

海外の場合は、死生観については
宗教から影響を受ける人が多いようです。
仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など…
何かしらの宗教を信仰している人が多く、
そこでは死や死後の世界について説かれているから。

信教の自由がある日本では、
特定の宗教を信仰しない「無宗教」の人が多く、
かつては、生きている間に死の迎えかたを話すのは
縁起が悪いとタブー視するような風潮でした。

けれど、最近では自分の死に備えて活動する「終活」
をする人が多く見られるようになってきましたね。
様々な「終活」サービスも多く出てきているようです。

人生の終わりをどう迎えたいか考えて準備することは、
決して後ろ向きな行動ではなく、
「今をどう生きるか」
につながる前向きな行動として捉えられつつあります。

2. 祖母の死

私は母子家庭の1人っ子だったので、
祖父母が季節に1回、徳島から来て
1ヶ月位滞在してくれていました。

普段1人っ子で鍵っ子の私にとって、
それは楽しみなことでした。

2人が徳島に帰る時は毎回、
わんわん目を腫らして泣いたっけ。笑

その祖父母ですが、
最期の迎え方は実に対照的なものでした。

「人は何か強烈に死を意識した時に、強烈に生を感じる」
とはよく言われますが、私の場合は
学生時代に直面した2人の最期の姿から
死生観について色々考えさせられました。

元教職員で、教育ママならず教育バアバの祖母。
いつも美味しいご飯を作ってくれて、
毎朝顔が見えなくなるまで、ずーっと
窓から手を降って学校へ向かう私を見送ってくれました。

私が中学3年生の頃、
祖母はすい臓がんで徳島の病院にずっと入院していました。
母に神奈川→徳島へ転校を打診されたけど、
当時は生徒会長をしていて最後までやり遂げたかったから
転校はせず大型連休でお見舞いに行っていました。

最期の半年くらいは、軽度認知症のような感じで
ボーッとして、ろれつがまわらない状態。
50音ボードを見つめてもらって、
私が指差しで確認しながら話していました。

祖母が「しにたい」、という文字を
順に見つめたときは…辛かった。

身体の良くなる見込みがない状況では、
周りを気遣うがために生まれる苦しみしかないようでした。

祖母は最期は病院で寝たきりとなってしまいました。
発作が起きた際、心臓マッサージをしても脈が良化しないから
祖父が見ていられなくて、お医者様に辞めさせたそうです。

最初は「なんで」と祖父に怒りを感じることもありましたが、
50年以上連れ添った夫婦ですし、意思を汲み取ったのでしょう。
あと、辛そうな姿を見ていられなかったんだろうと思います。
(心肺蘇生は肋・胸骨の骨折を伴うことも多くバキバキ音がするそう)

葬儀は徳島の祖父母の家で自宅葬をすることができました。
そこには、私の母くらいの年齢になる教え子さん達が
沢山集まって、「先生、ありがとなーっ!!」と
涙して旅立ちを見送りに来てくれていました。

私もこんな風に別れを惜しまれるくらい、
誰かに良い影響を与えられる人でありたいな。

3. 安楽死について

「生」の選択肢が増えたほうがいいのと同じように、
「死」の選択肢も増えたほうがいいという考えも最近では増えてきましたね。

海外では「安楽死」(医師による自殺幇助)を合法化してる国もありますが、
(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、カナダ、アメリカの一部の州)

日本では人の生死まで、ある種の「集団性」をまとうから導入は難しそう…。
安楽死が合法化されると、前向きな理由だけではなく
家族に悪いから・迷惑だろうからと自らプレッシャーを生み出して、
後ろ向きな理由で選択してしまう人も多く出てくるのではないでしょうか。

脚本家の橋田壽賀子さんの安楽死を希望するコメントは注目を集めましたが、
日本人が安楽死できる場所を世界に求めるとしたら、現状スイスのみです。

4. 祖父の死

元銀行員で、早朝から日課の散歩に出て、
帰宅するとニュースや経済番組を見ながら、
パチパチとそろばん弾き、投資の売買する祖父。

毎年がん検査をしていたのに、
祖父の肺がんが見つかった時はすでに終末期でした。
レントゲンでは見つかりにくいところにあったようです。

それは、私が大学3年生の秋でした。
夏に祖父が急激に痩せて、
死相を連想してしまった私は怖くなって
「おかしいから病院行こう」と話したら、
夏バテじゃないかなと言われてそのままでした。

その後、私はインドへヨガ留学に行っていたのですが、
プログラム3日目の朝に、日本から電話だと呼び出しが。

母が泣く声を初めて聞いて、何事かと思ったら

「おじいちゃんに末期癌が見つかって、
数週間の命かもしれない。お願いだから今すぐ戻って来て。」

急遽フライトをとって翌朝の早朝便で東京へ。
毎年がん検診してたのに…なんだか色々悔しくて、
飛行機の中でずっと泣き腫らしてました。

空港から病院へ駆けつけて、
祖父の顔を見た時は「会えてよかった」
ただ、それだけで何だか安心しました。

祖父は抗がん剤治療は選択せず、
私の実家での在宅看護を希望。

足腰が丈夫だったで、退院して最初の頃は
近場を少しだけ散歩もできました。
そろばんのおかげか、寝たきりになってからも
頭は最期までハッキリしていました。

祖父はずっと「家」のことを気にしていました。
毎年の正月会は続けなさい
親族を大事にしなさい
遺産はこうして分けなさい
家系図はこうなっているから知っておきなさい
等々family historyも色々話してくれました。

私はその時に祖父の背中から、
「家」を守るということを教わった気がします。
バトンを繋いでいく使命感のようなものがそこにありました。

これまで無口な祖父でしたが、あの頃は
ベットの横にいる私に本当に色々な話をしてくれました。
(義兄がいることも、この時に初めて知りました)

最期を意識する人の、
伝承本能ってこういうことなんだと思いました。

これまでのルーツを知るということは、
自分を知ることでもあるわけなので、
母方のことだけでなく父方の話も少しは聞けてよかったです。

まだ記憶も朧げな幼少期、
真夜中に起きたら父と母が喧嘩しているのを偶然目撃しました。

「だから産まない方がいいって言ったんだ」

父のその言葉は、ずっーーーと纏わり付いてきて、
どこかで自分の存在を否定してしまっていて、
生き辛さを感じた時期もあったけれど

祖父母を思い出すたびに、
私は愛されて育ったんだ
今も見守られているんだ。
大丈夫。

そう感じることができて、不思議と幸せと自信に包まれる。

祖父母の「死」を前に、自分の「生」を強烈に感じた時、
過去よりも、未来のために「今」を大事にしようと思った。

あの、感情の高ぶった1シーンを
私が重荷に感じる必要なんて全くないし、
そんなのちっぽけな悩み。

過去や生まれた環境は変えられないし、
その変えようのないところに捕らわれて苦しんだり、
自分を憐れんでる時間って、
本っっっ当に「時間の無駄」だって気付いたんです。

苦しさって、確かにあるけど
自分が作り出していた幻想にすぎない部分もあったみたい。
母からも、父からも色んな形で愛情を沢山貰っていたのに、
強烈なシーンに心を奪われすぎたせいで、
見れていないところが沢山あったんだと思う。

何を自分のライフワークしたらいいか考えるようになったのも、
「死生観」を考えるきっかけをくれた、祖父母のおかげ。

おじいちゃん、おばあちゃん。
心から、ありがとう。


【ボイスヨガ 】
日本ボイスヨガ協会が主宰する、
ボイスヨガ指導者養成講座にご興味ある方は
以下よりお気軽にお問い合わせください。
東京在住でなくても、オンラインで受講頂けます。
ビデオ・対面で丁寧な指導とフィードバック・サポートが得られます。
1人1人が「本来持つ良い声」を引き出して、
〜心も身体もワントーン明るく〜

日本ボイスヨガ協会

【サイト運営】

会社でも、家庭でもない。個性が輝ける第3の場所。
Here's your 3rd Place.



Warning: Use of undefined constant ←消すと戻る - assumed '←消すと戻る' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/seekermind/naturalista.jp/public_html/wp-content/themes/nucleare/single.php on line 24